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水銀の弓矢 続き
1
一度、もう一度と魔法を使い、誰かを助ける度、
誰かの人生に触れる度、少年の心は痛みを覚えるようになった。
それが死んでいった者たちへの想い、哀悼の想いだと気付いたのは
もう九十の魔法を使い終わった後だった。
犠牲の重みは彼を苛んだ。
従者は彼を支え励まし、気さくに笑って見せたが、
永遠に閉じられた右目と、昔はいつも見る事が出来た
その美しい瞳を思うと、心が引き裂かれるようだった。
少年は百一回目の魔法を従者の眼を治すためにとっておいた。
いつかの時に現れた魔女に
「このまま魔法を使い切れば死ぬ」、と知らされていた従者は、
少年に
「どうか最後の魔法を使って、もとの人間に戻って欲しい」と懇願した。
従者の願いは叶い、少年は死の呪いを免れたが
百の贖罪によって犠牲の尊さを知った少年は苦悩し
いつもの様に夕闇に紛れて現れた魔女に問うた
「どうすれば彼の眼を治せるの?」
2「僕はもう魔法が使えない、誇れるのは血筋だけのどうしようもない人間だ、
彼の失った片眼を、どうすれば償える?」
魔女は言った
「お前は何故自分の血筋が貴重であるのか、
皆がそれを守ろうとしたのか
考えたことがあるのかい?
お前の家系に流れる血はあらゆる怪我や病を治す万能薬の材料なのだ。
お前の一族が王となり土地を治められたのは、
その血を受け継ぐものを贄とし、戦を勝ち抜いてきたからだ
その血が続きさえすればまた人を集め、国を興すことができると
お前の父は考えていたのだろうよ」
魔女は懐から銀の杯を持ち出し、こう続けた
「この水銀がお前の血と混ざり合い薬となれば、あの者の眼は再生するだろう。
いまでは失われた、古代の業によって完成した奇跡の一片だ。
お前は水銀の毒で死ぬが、その血肉は腐らず、あらゆる病や怪我を癒すだろう。
あの従者はもう一度、その美しい黒い目に世界を映せる。
そして、お前一人の命が、百よりもっと多くの命を救うことになるだろう」
命の尊さを知った少年は、喜んで杯の水銀を飲み干した
3
従者が駆け付けたとき、すでに魔女の姿は消え、
冷たくなった少年だけが残されていた。
魔女は罪の象徴と言ったが、
その傷は彼にとっては呪いなどではなかった。
本当は、失った片眼の傷は、主君を守った従者の、
従者だけのささやかな誇りであり
大切な勲章だったのだ。
従者は冷たくなった少年の身体を腕に抱き、
天に向かって一度獣の様な低い声を発した後、
残った黒い片眼から、いつまでも涙を流し続けた。
4
西から来た旅人は、最近一つの噂話を耳にした。
それは夜長の暇をつぶすためのただの怪談話であったが、
どこか悲しげで美しい物語であったので、
しばらくの間、旅人の記憶に残っていた
何十年も前に滅んだ、とある国の廃墟には、
永遠に腐敗しない美しい少年の死体があるという。
その血肉は万病を癒す薬となるが、その廃墟には彼を守護する片目の亡霊が潜んでおり、
近づく者すべてを水銀の毒矢で射殺すという。
亡霊は絶えず涙を流しているが、
少年の死体は満ち足りた微笑みを浮かべ、そこに横たわっているという
旅人は独りたき火の炎を見つめながら、その炎の中に、
亡霊の黒い瞳から流れた涙が、少年の頬をゆっくりと伝い、
弧を描いた薄い唇に触れる光景を夢想した。
命の尊さを知った少年と、彼の命を守ろうとした片目の従者の物語を知る者は
今ではもうどこにもいない。
今ではもうどこにもいない。
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